パスワードは教えなくてよい。しかし「自分で解除して出せ」とは言える——電磁的記録提供命令の何が問題か
2026/08/16
2026年5月21日、改正刑事訴訟法の一部が施行された。「電磁的記録提供命令」という新しい強制処分が、この日から動き出している。
報道は多くない。刑事手続のIT化という穏当な看板の下にある制度なので、無理もない。しかし、この制度は、スマートフォンやクラウドの中身を捜査機関に引き渡すことを、刑罰によって義務づけるものである。そして、その義務を負う相手から、被疑者本人は除外されていない。
国会審議では、法務大臣が「パスワードを供述することを義務づけることは許されない」と答弁した。同じ審議で、法務省刑事局長は「パスワードの入力作業が必要となる場合であっても、提供する義務を負う」と答弁した。この二つが並び立つのか。本稿はこの一点を扱う。
何が新しくなったのか
改正前にも、電磁的記録を集める手段はあった。パソコンやスマートフォンそのものを差し押さえる。サーバの管理者に記録させて、その記録媒体を差し押さえる(記録命令付差押え)。捜査関係事項照会で任意の協力を求める。
新しい電磁的記録提供命令は、これらと大きく異なる。捜査機関が被処分者のところへ出向く必要はなく、オンラインで捜査機関の管理する記録媒体にデータを送らせることができる。記録媒体を特定する必要もない。従来の差押えは「この端末」「このサーバ」という有体物を対象とするが、新制度が対象とするのは電磁的記録そのものであり、クラウド上のデータのように、どこの装置に入っているのかわからないものでも命令できる。
そして、最も重い変更として、命令に従わなければ処罰される。
第百二十四条の二 正当な理由がなく、第百二条の二第一項の規定による電磁的記録提供命令に違反したときは、その違反行為をした者は、一年以下の拘禁刑又は三百万円以下の罰金に処する。
捜査機関の命令についても同じ法定刑の規定(刑訴法222条の2)が置かれ、いずれにも両罰規定がある。従来の記録命令付差押えには罰則がなく、協力的な事業者を事実上の前提とする制度だった。罰則を置くということは、協力しない相手を想定するということである。
そして、命令の名宛人を定める条文(刑訴法102条の2第1項)は、相手を「電磁的記録を保管する者」と「電磁的記録を利用する権限を有する者」と書くだけで、被疑者・被告人を除外していない。除外しないことは、立法の過程で意識的に選ばれた。
大臣答弁と局長答弁のあいだ
2025年3月27日、衆議院本会議。小竹凱議員が、スマートフォンのロック解除やパスワード開示を求める行為は「本人に秘密の情報をしゃべらせているのと同じではないか」と質した。鈴木馨祐法務大臣(当時)はこう答えた。
他方で、御指摘の、スマートフォンのロック解除やパスワードの開示を求める行為として、ロックの解除方法やパスワードを供述することを義務づけることは、自己負罪拒否特権と抵触をし、許されないものと考えております。
明快である。パスワードを言わせることはできない。憲法38条1項が「何人も、自己に不利益な供述を強要されない」と定めている以上、当然の答えにも見える。問題は、この答弁が制度の何を保障しているのかである。
2025年4月9日、衆議院法務委員会。米山隆一議員が、具体的な場面を設定して詰めた。パスワードを教えることは拒める。では、パスワードを打つこと自体を拒めるか。森本宏法務省刑事局長の答弁は次のとおりである。
電磁的記録提供命令は、必要な電磁的記録を提供することを命ずる命令であり、これを受けた被処分者は、提供することを命じられた電磁的記録を提供する義務を負います。そのことは、例えば、被処分者において、提供を命じられた電磁的記録を提供するに当たり、パスワード等の入力作業が必要となる場合であっても同様と考えております。……要は、見える状況にして出してくださいということはできるというふうに考えております。
米山議員は、この答弁をこう要約した。
だから、これはもう事実上、パスワードは打たせるということですね。パスワードを知らなくてもいいんでしょうけれども、少なくとも、パスワードを打つことは強制できるということなんだと思われます。
政府は否定していない。それどころか、暗号化されたまま提出した場合の扱いについて、同じ委員会で局長はこう答えている。
……命令を受けた者がパスワードを解除せずに当該電磁的記録を提供し、提供を受けた者においてその内容を知ることができない場合には、命令を履行したこと、すなわち必要な電磁的記録を提供したことには、その場合にはならない
読める形にして出さなければ、命令を履行したことにならない。履行しなければ処罰され得る。これが制度の実相である。
政府が自分で立てた基準が、自分の結論と合わない
政府の理屈はこうである。憲法38条1項が禁じているのは「供述」の強要である。供述とは、言葉を用いた観念の表出をいう。すでに存在する記録を提供させることは、新たな観念の表出を強いるものではない。したがって抵触しない。パスワードを捜査機関に伝えさせるわけではないから、パスワードを入力させることも同じである。
この論法の弱点を、参議院の参考人質疑で日弁連刑事調査室の河津博史弁護士が正面から突いた。
提出を命じられた電磁的記録にアクセスし、又は暗号化された電磁的記録を復号化するために、記憶しているパスワードの入力を強制することも供述の強要となり得ます。記憶しているパスワードの入力は観念の表出にほかならないからです。
河津弁護士はさらに、法務省の見解は命令によって観念の表出を強制することとなるかどうかに着目するものであるから、そうであるならば、記憶しているパスワードという観念の表出を強制することは、そのパスワード自体を捜査機関が取得するかどうかにかかわらず供述の強要に当たると理解しなければ一貫性を欠く、と述べた。
指摘の核心は、政府が基準を途中で切り替えている点にある。政府は「観念の表出を強制するかどうか」を基準として掲げた。掲げた以上、その基準を適用すればよい。記憶しているパスワードを頭から取り出して指で打ち込む行為は、観念の表出そのものである。それが捜査機関に伝わるかどうかは、観念の表出があったかどうかとは別の話である。
参議院では打越さく良議員が、法務省は観念の表出の強要が禁じられているからこそ既存文書の提出強制は抵触しないと説明してきたのに、捜査機関に伝わらないなら強要してよいというのは自らの説明と矛盾する、と迫った。政府は、命令はあくまで供述を得ようとするものではない、と繰り返すにとどまった。基準の当てはめの矛盾そのものには、答えていない。
「日記の差押えと同じ」という説明は成り立つか
賛成説と政府答弁がそろって持ち出すのが、日記帳の比喩である。不利益なことが書かれた日記を差し押さえても黙秘権侵害にならない。電磁的記録の提供も既存の記録を取るだけだから同じだ、という説明である。
立命館大学の渕野貴生教授は、参議院の参考人質疑でこの比喩の設定そのものを崩した。
特権侵害のポイントは自己に提出させるという点にこそあることが分かります。つまり、提供命令について日記を差し押さえる行為と同等であると説明することはミスリーディングであって、正しくは、日記を自ら提出させる行為と比較をしなければならないはずです。そして、罰則を付けることによって提出が法的に義務付けられ、強制させられるわけですから、法案は明らかに自己負罪拒否特権侵害に当たると考えます。
差押えは、本人が黙って見ていればよい処分である。捜査機関が自ら探し、自ら持っていく。金庫が開かなければ、捜査機関が自力で開ける。本人に開ける義務はない。
提供命令は違う。本人が動かなければ処分は完結しない。動かなければ処罰される。前者は受忍であり、後者は作為である。この差を無視して、受忍型の処分について語られてきた説明を作為型の処分に持ち込んでいるのが、政府の説明である。
呼気検査を持ち出すことの無理
政府は、飲酒検問の呼気検査を拒んだ者を処罰しても憲法38条1項に反しないとした最高裁判例(最判平成9年1月30日)を援用する。呼気検査は供述を得ようとするものではないから合憲だ、という判例である。
参議院で福島みずほ議員は「あなたに教えないんだから、私が今ここで操作することもしません。同じことじゃないですか」と述べた。仁比聡平議員は、比較の対象そのものを問題にした。
パスワードの入力は検知管とは全く異質のもの、つまり独立して被疑者の人権を侵害するものです。なぜなら、それは記憶しているパスワードを表出するという観念の表出だからです。
同議員は、比較すべきは呼気検査ではなくポリグラフ検査ではないか、とも述べている。質問への応答は内心の表出であり、供述の一種と見るべきだ、という議論である。
呼気検査で取得される情報が「アルコールの保有の程度」という一点に尽きるのに対し、スマートフォンから取得される情報は生活の全体に及ぶ。位置情報、通信履歴、写真、検索履歴、健康記録、金融取引、家族や友人とのやり取り。呼気と同列に扱える対象ではない。
学説上は、この判例の射程にも疑問が呈されている。松倉治代教授(大阪公立大学)は、平成9年判決がなぜ保護対象を「供述」に限るのかを判示していないことを指摘したうえ、呼気検査ですら検査器具に息を吹き込むという能動的な行為を求める点で供述の強制と同質である、と論じる。呼気ですらそうなのであれば、記憶からパスワードを打ち込む行為の供述性を否定することはできない。
最後の砦が、答弁で塞がれた
罰則は「正当な理由がなく」命令に違反した場合を処罰する。この文言に自己負罪拒否特権の行使を読み込めるかが、実務上の最大の争点だった。日弁連も、自己に不利益な供述をすることとなるときは提供を拒む行為を罰しない旨を明記すべきだと求めていた。
2025年5月13日、参議院法務委員会。福島議員がこの点を質したのに対し、森本刑事局長はこう答えた。
電磁的記録提供命令違反の罪の正当な理由がなくとは、違法にという意味であるというふうに解しておりまして、明文の規定により電磁的記録提供命令の拒絶権が認められている……場合のほか、実質的に違法性を欠くと認められる場合も含まれると考えます。……そのため、電磁的記録を提供することにより自己の刑事責任を問われる可能性があるとしても、そのこと自体は通常、命令違反についての正当な理由には当たらないものと考えております。
ここで確定した線引きに注意していただきたい。改正法は、医師・弁護士・宗教者などの業務上の秘密に関する押収拒絶権を、提供命令にも準用した(刑訴法105条の2)。これらの拒絶は「正当な理由」に当たり、処罰されない。しかし、自分が処罰されるおそれを理由とする拒絶は「正当な理由」に当たらない。憲法上の権利であるはずのものが、他人の秘密より弱い扱いを受けている。
米山議員は、この不均衡を埋める条文を提案していた。105条の2の次に105条の3を置き、命令を受けた者は、自己が刑事訴追を受け、または有罪判決を受けるおそれのある電磁的記録の提供を拒むことができる、とする規定である。鈴木大臣は「その必要性はないのではないか」と述べ、修正案に盛り込まれなかった。
教示義務がないということ
日弁連が求めたもう一つの修正は、命令を執行するときに、これは自己の意思に反して供述することを命ずるものではない、と教示することを義務づける規定である。意見書はその理由をこう述べている。
しかし、実務の現場においては、電磁的記録提供命令がパスワードの供述を命じているかのように誤信させて、事実上、刑罰をもって、供述を強要するような運用がなされることが強く懸念される。
この懸念は現実的である。令状を示され、従わなければ処罰されると告げられた人が、パスワードを尋ねられて、答えないと犯罪になると考えたとしても、責めることはできない。取調べには供述拒否権の告知義務があるが(刑訴法198条2項)、提供命令にはない。
教示義務は、結局、条文にならなかった。参議院法務委員会の附帯決議第5項に残っただけである。
電磁的記録提供命令により電磁的記録を提供させるに当たっては、必要に応じ、自己の意思に反して供述することを命ずるものではないこと及び当該命令に対して不服申立てができることを教示すること。また、誤解を与えるなどして憲法上保障された自己負罪拒否特権を実質的に侵害することとならないよう、適切に対処するよう周知すること。
附帯決議に法的拘束力はない。「誤解を与えるなどして……実質的に侵害することとならないよう」という文言が国会で必要とされた事実は、その危険が現実のものとして認識されていたことを示している。にもかかわらず、対処は周知に委ねられた。
パスワードを打つこと自体が、証拠になる
家族で使っている端末、職場で共用している端末、名義と実際の使用者が一致していない端末。こうした場面で、ある人がパスワードを入力してみせれば、その端末を使っていたのはその人だ、という事実が捜査機関の前で証明される。中身を見るまでもなく、入力という行為そのものが証拠になる。米山議員が国会で設定したのは、まさにこの場面だった。森本刑事局長の答弁は、被処分者は自己負罪拒否特権を理由に命令を拒むことはできない、というものだった。
米国の判例は、この問題を「提出行為の証言的性格(act of production doctrine)」として扱ってきた。記録を提出する行為は、その記録が存在すること、自分がそれを支配していること、それが本物であることを、黙って認めることになる。日本の法制審議会でも東京大学の成瀬剛教授がこの法理を紹介しているが、政府は「命令は供述を得ようとするものではない」という目的論で片づけた。憲法38条1項の保障が及ぶかどうかは、処分を行う側が何を狙っているかではなく、処分が本人に現に何を強いているかで決めるべきである。
外国はどうしているか
この問題は日本に固有のものではない。ただ、日本の解き方は特異である。
イギリスは、捜査権限規制法(RIPA)2000年法第3部という専用の法律を持つ。開示を求めるには、国家安全保障、犯罪の防止と捜査、経済的福利のいずれかのために必要であること、相当であること、他の方法では読める形で取得できないことが要件となる。従わなければ処罰されるが、法定刑は原則2年以下、国家安全保障・児童性的搾取事案で5年以下と、類型ごとに書き分けられている。フランスも刑法434条の15の2で、復号方法の引渡しを拒む行為を独立の犯罪とし、3年以下の拘禁刑と27万ユーロ以下の罰金を科す。憲法院は2018年にこれを合憲とした。
ドイツは逆に、被疑者本人へのパスワード開示強制を否定する。連邦通常裁判所は2025年3月の決定で、捜査官が被疑者の指をつかんでセンサーに当てて解錠することは受動的な受忍にすぎないから許されるとしつつ、パスワードの開示は能動的な関与を求めるものであるから義務を負わない、と区別した。
アメリカの州最高裁は、真二つに割れている。マサチューセッツ、ニュージャージー、イリノイは強制を認め、ペンシルベニア、インディアナ、ユタは認めない。ペンシルベニア州最高裁は、パスワードの開示は必然的に自分の頭の中身の開示であるとし、例外法理をこの場面に広げれば「憲法上の特権を呑み込んでしまう」と述べた。連邦最高裁は近年の上告受理申立てをいずれも不受理としており、判断を示していない。
日本の特異さはここにある。イギリスもフランスも、暗号解除を強制するための法律を正面から作り、要件と刑を個別に定めた。日本は、そうした法律を作らないまま、一般的な提供命令の条文にある「記録させ」という言葉の解釈によって、復号義務を導いた。
成城大学の指宿信教授は、衆議院の参考人質疑で、各国の法制度を比較した丁寧な検討がされていないのが今般の立法経緯だと批判したうえ、制度設計そのものについてこう総括した。
個人情報、通信情報を扱う大規模事業者に対する取得処分と被疑者等の管理する電磁的記録へのアクセスを同じ提供命令という一つの行政処分で一緒に立法しようとしたというところが、これがミスマッチなのではないか
大手通信事業者にデータの提出を求めることと、被疑者本人にスマートフォンを開かせることは、憲法上まったく別の問題である。それを一つの条文で処理したことが、混乱の根にある。
立法の過程についても言っておきたい
指宿教授は、立法事実の不在も指摘している。捜査関係事項照会や記録命令付差押えで何件の執行があり、そのうち何件で必要なデータを取得できなかったのかという統計が、一切提出されていない。新しい強制処分を作り、刑罰で担保するのであれば、既存の手段で何がどれだけ足りなかったのかを数字で示すのが筋である。示されたのは、捜査関係者が語る個別の支障だった。
制度を設計した法制審議会の部会は、法務省・検察庁から6名、裁判所から3名、警察庁から2名が委員に入る一方、刑事弁護の立場からは1名だった。一般の有識者は選任されていない。要綱は第15回会議で、出席委員10名のうち、その弁護士委員1名を除く9名の賛成で可決されている。
令状審査が歯止めになる、という政府の説明についても、実務の数字がある。河津参考人によれば、令和5年の司法統計で、差押え・記録命令付差押え・捜索状・検証許可状の発付件数は24万7493件、却下件数は138件である。渕野参考人は、2002年以来、傍受令状に基づいて傍受された通話のうち事件と無関係な通話が約85パーセント、19万回以上に及ぶことを挙げた。この水準の令状審査を前提として、新しい制度の歯止めが置かれている。
通知されない、という問題
名宛人は通信事業者やクラウド事業者に限られない。自社サーバにメールを置く会社、外部クラウド上のデータを自社アカウントから取り出せる会社も「保管する者」「利用する権限を有する者」に当たり得る。しかも捜査機関は、命令を受けたことや提供の有無を漏らしてはならないという秘密保持命令をかけることができる(刑訴法218条3項)。その間、データを預けている顧客や取引先に知らせることはできない。
そして、自分のデータを取られた本人に通知する制度は、置かれなかった。通信傍受法には当事者への通知規定があるが(同法30条)、提供命令にはない。法務省は、情報の主体も刑訴法430条の「処分に不服がある者」に当たり得ると答弁したが、通知がなければ処分があったことを知る手段がない。
それでも争える
この制度には憲法上の問題が残されたまま施行された。ただし、制度全体がただちに違憲だという意味ではない。事業者を名宛人とする限りでは、自己負罪の問題は原則として生じない。問題が生じるのは、被疑者・被告人本人を名宛人とし、記憶しているパスワードの入力を伴う復号を義務づける場面である。ここでは、次のとおり争う余地がある。
令状の効力。被疑者本人に対し復号を求める部分は憲法38条1項に反し無効である、という主張。あわせて、対象となる電磁的記録の特定が不十分な令状は憲法35条の要求を満たさないという主張が立つ。渕野教授が指摘するとおり、命令を受ける側は事件との関連性を判断する材料を持たないから、特定が甘い命令は本来履行しようがない。
罰則の「正当な理由」。政府答弁は自己負罪を理由とする拒絶をここから外したが、「正当な理由がなく」とは「違法に」という意味である、というのが政府自身の解釈である。憲法上の権利の行使が違法になることはない。パスワードの入力が「供述」に当たると解される限り、その拒絶は「正当な理由」に当たる。
証拠能力。教示を欠いたまま、あるいは違憲・違法な命令によって取得された記録について、違法収集証拠排除法則による排除を求める。
日弁連は施行日である2026年5月21日に会長声明を出し、「電磁的記録の提供を命ずるに当たって、自己に不利益な供述を強要する運用が行われる懸念も払拭されていない」として、政府と裁判所の双方に適正な運用を求めた。声明が裁判所を名宛人に含めていることには意味がある。令状審査の段階で止めるべき問題だ、ということである。
もし命令を受けたら
実際的な点を挙げておく。
パスワードそのものを口頭で告げる義務がないことは、法務大臣の答弁により明らかであり、争いがない。
これに対し、パスワードを入力して解除する義務があるかどうかは、政府がある、と言い、日弁連と複数の学者がない、と言っている、争いのある問題である。争いのある問題について、その場で判断を迫られる筋合いはない。しかも、自分で入力してしまえば、その端末を使っていたのが自分であることを、自ら証明することになる場合がある。
命令を受けたときは、令状に何を提供させる命令と書かれているかを確認し、その場で弁護人に連絡していただきたい。附帯決議は、供述を強要するものではないことと不服申立てができることを教示するよう求めている。教示があったかどうかは、後に手続の適法性を争ううえで意味を持つ。
おわりに
この制度をめぐる国会審議で、政府は一度も、パスワードの入力が「観念の表出」に当たらない理由を説明していない。説明したのは、命令の目的が供述を得ることではない、ということだけである。目的が何であれ、本人が強いられているのは、頭の中にあるものを取り出して打ち込む行為である。
自己負罪拒否特権は、被疑者を手続の主体として扱い、証拠の単なる供給源にしないための原則である。数百年かけて確立されたこの原則が、スマートフォンという道具の登場によって、条文の解釈だけで削られようとしている。削るのであれば、正面から法律を作り、要件を書き、国会で議論すべきだった。イギリスもフランスもそうしている。
施行から3か月が経った。運用の実例はこれから積み上がる。最初の事件で、どこまで争えるかが、この制度の輪郭を決める。
主な出典
- 情報通信技術の進展等に対応するための刑事訴訟法等の一部を改正する法律案(衆議院)
- 衆議院本会議 第217回国会第12号(2025年3月27日)
- 衆議院法務委員会 第217回国会第8号(2025年4月4日・参考人質疑)
- 衆議院法務委員会 第217回国会第9号(2025年4月9日)
- 国会会議録検索システム(参議院法務委員会の各会議録)
- 日本弁護士連合会「電磁的記録提供命令の創設を含む刑事訴訟法等の改正に当たり、プライバシーの権利等を保護するための修正を求める意見書」(2024年3月14日)
- 日本弁護士連合会「情報通信技術の進展等に対応するための刑事訴訟法等の一部を改正する法律の一部施行に当たっての会長声明」(2026年5月21日)
- 法制審議会刑事法(情報通信技術関係)部会(法務省)
- 参議院常任委員会調査室・特別調査室「情報通信技術の進展等に対応するための刑事訴訟法等の改正に関する国会論議」立法と調査478号
- 松倉治代「憲法38条1項の保護対象は『供述』に限られるか」立命館法学375・376号
