刺したのが腕だった。殺意を争うとき、どの事実から順に固めるか
2026/08/31
刃物を使った事件で、被告人が「殺すつもりはなかった」と述べることは珍しくありません。この主張が通れば、罪名は殺人未遂から傷害へと変わり、量刑の幅は大きく動きます。もっとも、殺意の有無は本人の言い分では決まりません。この記事では、殺意がどのような事実から推認されるのかを説明し、これを争う場合に何をどの順序で固めていくのかを述べます。なお本記事は、特定の事件についての解説ではなく、この類型一般についての実務の説明です。
殺意とは何か。確定的な意図だけではない
殺人の故意は、相手を殺そうと明確に意図した場合に限られません。自分の行為によって相手が死亡する可能性を認識し、それでもかまわないと考えていた場合も、故意があると評価されます。これを未必の故意といいます。したがって「殺そうとまでは思っていなかった」という説明だけでは、殺意の否定にはなりません。争点は、「死ぬかもしれないと分かっていたか」という認識の有無に移ります。
この認識は内心の問題でありながら、実際には外形的な事実から推認されます。人は自分の行為の危険性を理解しているはずだ、という経験則が用いられるためです。だからこそ、行為の客観面をどこまで正確に描けるかが、殺意を争う作業の中心になります。
殺意を推認する事実の並び
実務では、次の事実が総合的に評価されます。
- 攻撃した部位。頭部、頸部、胸部、腹部といった生命に直結する部位への攻撃は、殺意を強く推認させます。他方、腕や脚といった四肢への攻撃は、それだけでは死の危険を基礎づけにくいものです
- 創傷の深さと数。表層にとどまるのか、内部の血管や臓器に達しているのか。同じ部位に反復して攻撃が加えられているか
- 凶器の種類。刃体の長さ、形状、殺傷能力の程度。事件のために用意されたものか、その場にあったものか
- 攻撃の継続性。相手が抵抗をやめた後も攻撃を続けたか、途中で自ら止めたか
攻撃部位が四肢であったという事実は、これらのうち第一の要素において有利に働きます。ただし、それだけで結論が決まるわけではありません。刃体が長く、深く達しており、繰り返し突き刺されているのであれば、部位が腕であっても、大血管の損傷による死亡の危険は具体的に存在します。部位だけを取り出して主張すると、かえって説得力を失います。
報じられた事案から見る、部位の意味
2025年12月5日に発生し、同月8日にRecord Chinaおよびテレビ朝日が報じた事案では、千葉県いすみ市の会社で、中国籍の男性(39歳)が面談中に女性社員を刃物で複数回刺し、女性が死亡したとされています。また、2026年6月10日および同年6月30日に西日本新聞、日テレNEWSほかが報じた事案では、福岡市博多区の食品製造会社で、中国籍の技能実習生の男性(20歳)が同僚女性の頭部を斧で複数回殴打し、その約3週間後に同一の職場で同僚男性の頭部をバール等で殴打したとして再逮捕されたと報じられています。いずれも、殺人または殺人未遂の疑いで逮捕されたと報じられています。起訴・有罪が確定したものではなく、被疑者には無罪推定が及びます。
これらの報道に共通するのは、頭部という部位と、複数回という反復です。この二つが揃うと、殺意の推認は強く働きます。逆にいえば、部位が四肢であり、攻撃が一回にとどまり、途中で自ら止めているという事実が確認できる事案では、推認の構造そのものを崩す余地が生まれます。
傷害への引下げを目指す立証の順序
弁護人は、次の順序で作業します。
- 第一に、客観的な医学的資料を押さえます。診断書、カルテ、創部の写真、画像所見。創の深さ、方向、生命への危険の程度について、医師の見解を確認します。必要であれば、弁護側で医学的意見を得ることを検討します
- 第二に、行為の態様を再現します。位置関係、双方の動き、凶器を持った手、力の入り方。防犯カメラ映像や現場の状況と突き合わせます
- 第三に、攻撃の前後の事情を確認します。誰が先に接近したか、いつ止まったか、止めたのは本人か第三者か
- 第四に、供述の変遷を検討します。捜査段階で「殺すつもりだった」という趣旨の調書が作られている場合、その取調べがどのような状況で行われたか、通訳を介した供述がどう記載されたかを争点にします
客観的な資料を固める前に本人の言い分だけを強く述べると、後から資料と食い違ったときに、供述全体の信用性を失います。
結果が軽くても、量刑が軽いとは限らない
傷害への引下げに成功しても、それで軽い処分になると決まるわけではありません。凶器を用いた事案では、傷害であっても実刑となることがあります。示談の成否、前科の有無、犯行の動機、被害者の処罰感情が、そのまま量刑に反映されます。
在留資格との関係も同じ構造です。入管法24条4号リは、無期又は1年を超える拘禁刑に処せられた者を退去強制事由と定め、刑の全部の執行猶予が付いた場合を除いています。罪名が傷害に変わっても、実刑で1年を超えれば、この要件に該当します。令和7年の出入国管理統計によれば、この4号リを単独の理由とする退去強制令書の発付は全国で41人、うち中国籍は11人でした。不法残留との並立を含めると、中国籍は47人となり、中国籍の令書発付総数686人の6.9%を占めます。刑期の1年という線が、生活の場所を決めています。
ご家族が最初にすべきこと
まず、弁護人を早く選任してください。医学的資料の検討も、現場映像の保全も、時間の経過とともに難しくなります。次に、本人の生活状況を示す資料を整えてください。在職証明、給与明細、日本での交友関係、本国の家族の状況。これらは情状の立証に用います。
そして、本人には、取調べで分からないことに答えないよう伝えてください。殺意という言葉は、日常の中国語の感覚と、日本の刑法上の評価とで、意味の幅が異なります。通訳を介したやり取りの中で、意図しない趣旨の調書ができあがることは実際に起きています。署名の前に、記載が自分の述べたところと一致しているかを確認する。この一点を、繰り返しお伝えください。
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この記事を書いた弁護士
松村大介(まつむら・だいすけ)弁護士。第二東京弁護士会所属、登録番号59077。舟渡国際法律事務所。外国人の刑事弁護と入管事件(退去強制、在留特別許可、監理措置、在留資格の取消し)を主要な取扱分野とし、中国語圏のご依頼者からのご相談を数多く受けています。
本記事は一般的な法制度の解説であり、個別の事案についての法的助言ではありません。実際のご判断にあたっては弁護士にご相談ください。記載は執筆時点の法令・統計に基づいています。
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