裁判員裁判では、通訳の質がそのまま事実認定を左右する
2026/08/31
日本の刑事裁判は、書かれた言葉と話された言葉で組み立てられます。被告人が日本語を母語としない場合、そのすべてが通訳という一枚の膜を通ることになります。膜が薄ければ、法廷の判断はほぼ正確に届きます。膜が厚ければ、事実認定そのものがずれます。とりわけ裁判員裁判では、法律家ではない市民が、法廷で耳にした言葉から心証を形成します。この記事では、中国語話者の裁判員裁判で通訳がどこに影響するのかを整理し、弁護人と本人、ご家族が何をすべきかを具体的に示します。
裁判員裁判の対象となる事件
2025年12月5日に発生し、同月8日にRecord Chinaおよびテレビ朝日が報じた事案として、千葉県いすみ市のガラス製品製造会社で、中国籍の男性(39歳)が面談中に58歳の女性社員を刃物で複数回刺し、女性が死亡したというものがあります。殺人の疑いで逮捕されたと報じられています。起訴・有罪が確定したものではなく、被疑者には無罪推定が及びます。
このように重大な結果が生じた事件は、裁判員裁判の対象となります。裁判員裁判では、審理が集中的に行われ、書面ではなく法廷でのやり取りが重視されます。つまり、その場で訳された言葉が、そのまま判断の材料になるということです。
統計から見る、中国語事件の位置
令和7年版犯罪白書によれば、令和6年に通訳を要した被告人の通常第一審終局人員は4,649人で、前年比20.7%の増加でした。通訳された言語は41言語に及びます。言語別で最も多いのはベトナム語の1,794人(38.6%)で、中国語は726人(15.6%)と第2位です。しばしば「日本の法廷で最も多い外国語は中国語だ」と言われますが、これは正確ではありません。ベトナム語は中国語の約2.5倍です。
この数字が実務上意味するのは、中国語の法廷通訳人の需要は大きいものの、事件数の伸びに対して経験のある通訳人の数が十分とは限らない、ということです。専門用語を訳し慣れた通訳人と、日常会話の通訳経験しかない方とでは、法廷での精度に差が出ます。
通訳が事実認定を左右する具体的な場面
裁判で争われるのは、多くの場合、行為そのものではなく、そのときの認識です。認識は言葉でしか表現できません。次のような場面で、訳し方の差が結論に届きます。
- 殺意の有無。「死んでもかまわないと思った」と「死ぬかもしれないとは考えなかった」は、中国語では近い表現になりうる場面があります
- 計画性。「持っていった」と「持っていた」の違いは、日本語では時制と態の問題ですが、訳出の際に落ちることがあります
- 暴行の態様。押す、突く、はねのける、振り払う。これらは日本語では別の評価を受けます
- 反省の表明。中国語圏の謝罪表現をそのまま直訳すると、日本の法廷では他人事のように響くことがあります
- 方言。標準的な普通話ではなく、地方の言い回しが混じる場合、通訳人が理解できないまま流れることがあります
裁判員は、被告人の言葉を訳された日本語でしか聞けません。訳文が冷たければ冷たい人物として、あいまいであれば不誠実な人物として受け取られる危険があります。これは被告人の人格ではなく、通訳の精度の問題です。
通訳人の選任と、事前の準備
通訳人は裁判所が選任します。弁護人としては、審理の規模に応じて複数の通訳人を配置するよう求めることがあります。長時間の審理では通訳人の疲労が精度に直結するためです。また、公判前整理手続の段階で、事件に出てくる専門用語について、あらかじめ訳語を統一しておくことも重要です。凶器の名称、負傷の部位、医学用語、会社内の役職名、製造工程の用語。これらを一覧にして、弁護人と通訳人が事前に共有しておくと、法廷での混乱が減ります。
被告人が話す中国語の地域的な特徴も、事前に伝えます。出身地、日常的に使う言語、普通話の習熟度。これらを確認せずに手続を進めると、法廷ではじめて意思疎通の問題が露見し、審理が止まることになります。
誤訳に気づいたとき、どう記録に残すか
誤訳は、その場で対応しなければ、なかったことになります。実務では、次のように対応します。
- 弁護人席に、通訳人とは別に、中国語を解する者を同席させ、訳出を確認する
- 訳出に疑義があれば、その場で裁判長に述べ、通訳人に確認を求める。何分のやり取りであったかを含めて発言する
- 重要な部分については、逐語的な訳出を求める。要約された訳では、ニュアンスが確認できません
- 公判調書の記載を確認し、実際のやり取りと食い違う場合には、異議を申し立てる
- 捜査段階の供述調書についても、原文にあたる中国語の説明がどうであったかを、取調べの経過とともに争点化する
大切なのは、その場で異議を述べることです。後から「あの訳はおかしかった」と主張しても、記録がなければ検証できません。通訳の問題は、記録に残った範囲でしか争えないのです。
本人とご家族ができること
本人にお伝えいただきたいのは、分からないときに分からないと言う勇気を持ってほしい、ということです。通訳人の日本語訳が理解できない、質問の意味が取れない。そう述べることは、被告人の権利です。黙ってうなずいてしまうと、その沈黙が同意として記録に残ります。
ご家族の側では、本人の出身地、使用する言語や方言、日本語の理解度を、正確に弁護人へ伝えてください。また、法廷に提出する手紙や陳述書を中国語で書く場合、翻訳の質が印象を左右します。翻訳は弁護人と相談しながら進めるほうが安全です。刑事訴訟法は被告人に通訳を付することを定めており、憲法および国際人権規約B規約14条3項も、自分に対する被疑事実を理解できる言語で告げられること、通訳の援助を受けることを保障しています。これは恩恵ではなく、権利です。
中国語対応の刑事弁護のご相談
舟渡国際法律事務所では、中国語の専属通訳が常駐しており、逮捕直後からの接見、勾留に対する準抗告、被害弁償・示談交渉、不起訴を目指す弁護活動、そして刑事処分の後に続く在留資格の問題まで、一つの窓口で対応しています。刑事事件と入管手続は連続しており、刑事の段階でどのような処分を得るかが在留の帰趨を大きく左右します。初回のご相談は無料です。ご本人が身柄を拘束されている場合は、ご家族からのご連絡でも承ります。
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この記事を書いた弁護士
松村大介(まつむら・だいすけ)弁護士。第二東京弁護士会所属、登録番号59077。舟渡国際法律事務所。外国人の刑事弁護と入管事件(退去強制、在留特別許可、監理措置、在留資格の取消し)を主要な取扱分野とし、中国語圏のご依頼者からのご相談を数多く受けています。
本記事は一般的な法制度の解説であり、個別の事案についての法的助言ではありません。実際のご判断にあたっては弁護士にご相談ください。記載は執筆時点の法令・統計に基づいています。
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